「百冊で耕す」近藤康太郎 | より深く、より豊かな人生のための本の読み方

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こんにちは、yukiです。

先日、近藤康太郎さんの「百冊で耕す(Amazon)」を読みました。

大好きな写真家さんがSNSにアップされているのを見て気になっていたもので、Amazonの説明を読んで「これは読んでみたい!」と思い、手に取ってみました。

この本を読んで感じたこと、考えたことをレビューとしてまとめてみます。

目次

本の概要

著者

近藤 康太郎

朝日新聞編集委員・天草支局長/作家/評論家/百姓/猟師/私塾塾長

1963年、東京・渋谷生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、1987年、朝日新聞社入社。川崎支局、学芸部、AERA編集部、ニューヨーク支局を経て、2021年から現職。新聞紙面では、コラム「多事奏論」、地方での米作りや狩猟体験を通じて資本主義や現代社会までを考察する連載「アロハで田植えしてみました」「アロハで猟師してみました」を担当する。九州を拠点に、社内外の記者、ライター、映像関係者に文章を教える私塾が評判を呼んでいる。

百冊で耕す(Amazon)

出版

  • 出版社:CCCメディアハウス
  • 発売日:2023/3/2

内容(出版社より・抜粋)

本書の読者対象は、せっかく本を読むならば、それを仕事、そして生きる糧にできたらと願う人たちだ。本を人生の友にしたければ、まずは「百冊読書家」を目指す。速読も遅読も駆使し、娯楽で読書に親しんだり、あるいは難解な本と格闘したり、抜き書き(メモの技術)を身につけたりしながら、多角的に「読む筋力」を鍛えていく。結果、いつしか「〈わたし〉だけの、カノン(正典)」を選べるようになる。

百冊で耕す(Amazon)

1. 本棚を見直した

本棚の背表紙というのは、その人の脳を見せているようなものだ。その人の服、美的センスの現れでもある。深みのある本棚を最初に作ってしまえば、その人は、いずれ深い人間になる。美しい本棚の持ち主は、やがて美しい人になる。本棚が人格を作る。

百冊で耕す(Amazon)

この箇所を読み、自分の本棚を思い浮かべてみました。

本棚って、多くの人にとってはごくごく私的なものだと思うんですよね。

誰かに本の背表紙を見られると、自分の好みや性格、自分が歩んできた歴史までひと目で知られてしまいそうな気がするし、頭の中を見られているような気分にもなる。

わたしにとっては、本当なら誰にも見られたくないものです

ひとり暮らしのときも、本棚は他人が立ち入らない部屋に置いていたし、以前母が家に来て娘の寝かしつけをしてくれたとき、本棚の前で娘を抱っこしていて「お願いだから本の背表紙は見ないで…!」と思ったことを思い出しました。

本来、本棚というのは誰かに見せるものではないので、誰かの視線を気にして並べるべき本を決めるものではない。

だから、見られたくないと感じる背表紙であっても、自分にとって大切にしたい一冊であればもちろん残す方がいいですよね。

でも「恥ずかしい」と感じた理由によっては、今の自分にとって、手放す方がいい本もあるかもしれない

このような考え方に触れたのだから、一度、自分の本棚を見直すきっかけにしてみようかな、と思い至りました。

まだ取りかかれていないけれど、近いうちに本棚を見直し、自分がこれからも持っていたい本が並んでいるかを吟味して、なりたい自分に近づけるような本棚を目指してみようと思います。

2. 本を読むことは肉体的なこと

紙の本を読むことは「肉体的なものだ」と著者は言います。

その文章を読んだとき、どこにいたのか。バスに乗っていたのか。家のこたつでうつらうつらしながら読んでいたのか。本の、だいたいどのくらいの位置にあったのか。そうした事態を、手で、覚えている。それぞれに大きさも重さも違う本という物体が、記憶を喚起する。それが読書だ。本を読むという行為の実態だ。

百冊で耕す(Amazon)

これ、とてもよくわかる。

たとえば、とある小説を読んでいたときに新幹線のトンネルを通ったこと、大好きな小説を読んでいたときのカフェの空気、エッセイを読んでいたときに目にした景色など、本と風景や場所がリンクして、その本を見たり、思い出したりするだけで当時の映像が呼び覚まされることがあります。

ただこれはわたしの場合、重みのある紙の本だけでなく、Kindleであっても、音声配信であっても、同じようなことが起きるんですよね。

この人のこういうテーマの話を聞いているときに、自転車であの辺を走っていたなぁとか、朝の通勤電車に乗っているとき、携帯でこの本を読んだなぁとか。

いわゆる「紙の本」ではなくても、何かの出来事が、風景や匂いなどの記憶を喚起することはある。

そして、こんなふうに思い出が積み重なり、広がっていくことは、人生の彩りを豊かにすることにもつながっているなぁ、と感じます。

3. 本に書き込みをしてみたい

わたしが中学、高校のころに買ってよんだ文庫本には、線も引いていなければページもあまり折っていない。感動していないのではなく、もったいなかったから。極めて貧乏だったこともあり、せっかく買った本は大切にしなければならないと思い込んでいた。

これは人生で最大級の痛恨事で、中学、高校の頃、自分がどんな文章に心動いていたのか、いま知ることができたらなんて楽しいだろう。どんなにか懐かしいだろう。おかしく、かわいらしく、そして励まされることだろう。

百冊で耕す(Amazon)

わたしはこれまで、一度も本に線を引いたり何かを書き込んだという経験がありません。

本のページの端を折るドッグイヤーは経験があるけれど、それでもとても遠慮がちに小さく折り目をつける程度。

なぜ、本に書き込みをしてこなかったのか考えてみると、おそらくわたしの母が本をとても大事にする人だったから

わたしが幼かった頃に読んでいた絵本を見てみると、本のカバーに折れ目がつくこともなく、かなりきれいな状態で保管されています。

これは今考えると信じられないことで、子どもが本に近づくと、自らページをめくりたがるし、本に触ろうとする。

そして、優しく扱うことをまだ知らない間は、本を舐めることもあれば、カバーを破ったり、本を床に投げたりもしますよね。

そんな子どもがいても本がきれいな状態で保管されているというのは、もしかして本を触らせなかった…?という疑いが出るほど、にわかには信じられないことのように思います。

さて、少し話はずれましたが、わたしは昔からおそらく本を大事にするようしつけられていて、だから本に書き込みをしたり、本に線を引くことにとても抵抗感があるんだと思います。

でも、読書家の父は線を引きながら読んでいるし、線を引いたり書き込んだりすることに強い憧れがあるんだなぁと、この本を読んで感じました。

自分が所有している本を読むタイミングで、一度線を引いたり思いっきり書き込んでみる経験をしてみようかな、と。

想像するだけでドキドキするけど、少しワクワクする気分も。できるかな……いや、やってみよう。

4. 古典を読むということ

自分には合わないこともあるが、それも一応読み通したのちの話だ。漱石や鴎外、谷崎に荷風、太宰に三島を、読まないでおいて「合わない」「分からない」「古い」と、現代作家ばかりを読む。そんなことをしていたのでは、その現代小説、ベストセラー小説さえも、じっさいには「分からない」ままだろう。

百冊で耕す(Amazon)

わたしも学生の頃、文豪と呼ばれる人たちの本を読んでみたことがありました。

夏目漱石の「坊っちゃん」、太宰治の「走れメロス」、芥川龍之介の「羅生門」、川端康成の「雪国」など。

手に取った作品は教科書に載っているものも多く、比較的読みやすい作品ばかりだったと思いますが、どれもこれも、読んでいるうちに信じられないくらいの眠気が襲ってきて。

なんとか最後まで読み通せたとしても、何ひとつおもしろいと感じる部分がなく、「文豪と呼ばれる人たちの本って、古いからわたしには合わないんだ」と完全に思い込んでいました。

でも、本書にも書かれていたけれど、多くの人に読み継がれてきたような本というのは絶対におもしろい部分があるはずなんですよね。

おもしろくないのは、本のせいではない。自分のせいだ」という文章にハッとしました。

たしかに、15歳のわたしには何ひとつ理解できなかったかもしれない、20歳のわたしにとってはただただ眠気を誘うだけの本だったかもしれない。

でも、40代に差し掛かる年齢のわたしであれば、どこかに響く一文があるかもしれない。

その一文を求めて、こういう本をもう一度読んでみたいと思うようになりました。

古典ばかりを、がまんして読む。十冊も読み通せば、「眼」ができる。

百冊で耕す(Amazon)

と書かれています。

少し時間が作れたら、海外文学も含めてこういった古典をがまんしてでも読んでみるという体験をしたいなと思っています。

5. 抜き書き帳で鍛えるのは感性

最後に、抜き書き帳についても触れておきます。

抜き書き帳とは、本の中の一部の文章を書き写したノートやメモ帳のこと
「本を読んでいて重要だと思ったり、忘れたくないことを手書きで残す」ことが重要だそう。

わたしは一冊の本を読み終えると、その本の基本情報をNotionへ記録しています。

印象に残った言葉があれば書き写したり、感想メモを書いたり、その前後の文脈を知りたければ写真を撮って残すことも。

これまでに、手書きの読書ノートは何冊も作ってきたし、Evernote、iphoneのメモなどに感想文を記録していたこともあったけれど、三日坊主的に終わることが多かったんです。

それがなぜかと考えたところ、以下のようなことが原因だったのではないかな、と。

  • 手書きだと、字を書くのに時間がかかる
  • 手が疲れる
  • どこに何を書いたか忘れてしまう
  • どこに書いたか分からないので読み返さない

Notionには読書記録だけではなくさまざまな情報(レシピなど)を入れているので、記録場所が分からなくなることはないし、リマインダー機能を使って、たまに自分が書いた感想を読み返したりもしています。

「以前読んだ本に書いてあった気がするけど何だっけ?」とか「このワードってどの本に出てきたっけ?」みたいなことを調べるときには検索機能もあって便利なんですよね。

今のところNotionでの読書記録を気に入っているので変える予定はないけれど、「情報のストック」ではなく「感情、思考のフロー」を作ることが重要だという指摘には目から鱗。

情報ではなくて感性。感性に裏打ちされた、思考の強度を、抜き書き帳によって鍛えている。

百冊で耕す(Amazon)

たしかに、情報ストックのためだけに読書記録を続けるのはもったいないし、この記録が感情や感性、さらには思考までも育むものになるなら願ってもない効用を得ることになります。

感性を育むためには、やはり、自分が感じたことやその本を読んで考えたことを読み返すこと

それによって、自分の心が揺れるポイントを見つけたり、好きだと思った文章をただただ味わったり、気持ちの変化に気づいたり。

これからは、情報の入力を制限し、感情、感性、思考を育むことに意識を向けたいと感じました。

まとめ

今回は、近藤康太郎さんの「百冊で耕す(Amazon)」を読んで感じたことをまとめてみました。

著者とまったく同じ読み方はできないかもしれないけれど。

読書が真の趣味であり、読書を心から愛する著者の本の読み方を少しでも取り入れることができたら、人生に深みが増し、より豊かなものになるかもしれないと、読み終えて感じることができた一冊でした。

このレビューが、どなたかのご参考になれば嬉しいです^^

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この記事を書いた人

2歳、0歳の女児の母。2022年5月よりフルタイムワーママになりましたが、現在は第二子の育休中。風通しよくスッキリと、好きなものに囲まれて心地よく暮らしたい。

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